東北大学学生歌「青葉もゆるこのみちのく」作詞者の野田秀先生がご逝去されました
2023年12月26日、東北大学学生歌「青葉もゆるこのみちのく」の作詞者・野田秀先生が91歳でご逝去されました。
半世紀以上に渡って親しまれてきた「青葉もゆるこのみちのく」は、2007年の創立100周年を機に正式に学生歌として制定されました。
※「青葉もゆるこのみちのく」に関する詳細はコチラ
野田秀先生の告別式に参列した本学の木島明博名誉教授(元東北大学応援団)は、野田先生への想いを下記のように綴りました。
野田 秀 先生の告別式に参列して
野田秀(しげる)先生が2023年12月26日11時27分に91歳でご逝去された。野田先生は東北大学学生歌「青葉もゆる このみちのく」の作詞者である。東北大学学生歌について、作曲者である阿座上竹四先生(東北大学名誉教授)のご寄稿『学生歌「青葉もゆる このみちのく」をめぐって』(東北大学史料館だよりNo.7、2007年9月)によると、学生歌は昭和24年に誕生した新制東北大学において、皆でいつでもどこでも歌える歌が欲しいという学生の要望に応えて学生部が学生歌の作詞、作曲の募集を行ったことに始まるという。学生部による公募は、まず作詞の募集に始まり、入選歌詞3編に対して作曲を募集するという独特の手順で進められたという。それぞれに作曲された3編が1953年(昭和28年)10月31日、本部中央講堂で披露され、「青葉もゆる このみちのく」が第一位に選出された。70年前である。その後も学生歌の募集があり、昭和30年、32年、35年に1曲ずつ合計6曲が制定されたが、この年で募集は終了した。その後、第一位に選出された学生歌「青葉もゆる このみちのく」は広く学生に歌われてきた。特に東北大学学友会応援団では各種体育部試合終了後や七大戦の壮行会、入学式や卒業式でも歌われた。また、学生のコンパの最後にも歌われていた。実に多くの学生が東北大学の学生の歌として親しまれた歌である。
一方、東北大学には公式に認定された学歌がなかった。公式に認められた学章も学色(スクールカラー)もなかった。そこで本学創立100周年を期に学歌、学章、学色(スクールカラー)を制定する機運が高まった。百周年記念事業の一環として学旗等制定ワーキンググループ(WG)が立ち上がった。その構成は東北大学の教職員10名、全部局からの学生と学友会体育部と文化部の常任委員長、応援団団長の17名で構成された。そこで様々な意見が出され、慎重に検討が行われた。結果、学章は「仙台萩」をモチーフにしたグローバル萩、スクールカラーは知性と創造力を表す紫(東北大学紫)と勤勉と実践力の黒、そして学歌は・・・。新たに作成することも含めて検討した結果、これまで学生に親しまれ、多くの卒業生が口ずさんだ学生歌「青葉もゆる このみちのく」を学生歌のまま公式に学歌と認める結論となった。この答申案を理事会がそのまま認め公式に東北大学の学歌と認められた。実に東北大学らしい流れである。その歌詞には「平和の賛歌、心理の目標、自由の行手、国の礎、学都の誇り、世界の要」の文言が1番、2番、3番に詞われ、奢りなく、静かな決意、覚悟が感じられる。いかにも東北大学生らしい、東北大学の在り方も表した歌詞である。幾度も幾度も歌った歌詞をあらためて口ずさみ、また異なる感動、新たな感動が湧きだした。
告別式はキリスト教会式で行われ、牧師だった野田先生の人となりやお言葉を水口牧師が話された。その一言一言を聞くたびに、野田先生が学生歌に込められた歌詞が思い浮かばれ、野田先生の世界への思いばかりではなく、世界に羽ばたく東北大学への想い、東北大学生へのメッセージが思い起こされた。私たちがいつも歌っていた歌詞が心にしみた告別式だった。野田秀先生のご冥福をお祈りします。
木島明博(東北大学名誉教授・元東北大学応援団)