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インタビュー

いつも母校の動静については深い関心がありました。

勝股 康行(かつまた やすゆき)

七十七銀行相談役・経済学部 1955年卒

学生時代の思い出

私の学生時代は戦後の経済復興がようやく進み始めたころで、仙台市内は今とは比べようもないほど粗末な建物が並び、青葉通りのケヤキ並木も小さく、目立たない存在でした。
私は昭和30年の経済学部卒で、最初は日本銀行に入り、32年間勤務した後、昭和62年に七十七銀行に移りました。同行では頭取、会長などを勤め、去る6月に役員を退任して、今相談役の地位にあります。
七十七銀行に移った昭和62年当時は、円高が急速に進み、いわゆる円高不況のころですが、政策的に金利が多く引き下げられたためバブルが発生し、そのバブルがはじけて今度はデフレになり、日本経済も地域経済も10数年に亘って大変厳しい状況におかれました。この間、銀行経営を預かる者としては苦労の多い毎日でした。幸い、最近になって景気が多少明るくなってきているようで何よりのことと思っています。
相談役になりましたが、引き続き、経済関係はじめ、教育・福祉・報道関係など広い分野に亘って社外活動に従事しており、少しでも地域のためにお役に立ちたいと考えています。
遊ぶことといえば映画を見るか、喫茶店でクラシックを聞く程度でした。それだけに勉強には大変いい環境でして、講義には欠かさず出席し、本も良く読みました。当時、経済学部の校舎は片平にありましたが、冷暖房設備などはなく、寒い冬などは炭を燃やして暖をとりながら、勉強していました。
講義では近代経済学の泰斗といわれた安井琢磨教授の経済原論がすばらしく、ゼミも充実していました。今思うと「考える力」と「それを表現する力」はゼミを通じて学んだように思います。これは社会に出てから大変役に立ちました。
大学は単に知識を得るだけでなく、社会人としてのファンダメンタルを身につけることこそ大切ではないかと思っています。

メールマガジンについて

大学を卒業してから50年になりますが、いつも母校の動静については深い関心がありました。しかし、仙台に戻ってくるまでは、大学についての一般的な情報はほとんど入手することはできませんでした。
今回、大学がメールマガジンを通じて、その時々の情報を流してくれるということで、同窓生にとっては大変有難いことと思っています。特に仙台から遠く離れて住んでいる人にとっては、大学が身近な存在となり、これまで以上に愛着を感ずるようになると思います。
また、同窓生相互のネットワークづくりについても予定しておられるようで、すばらしいことと思います。旧交を温めたり、ビジネスに生かしたりすることができるほか、お互いの意見交換などを通じて、老後の人生をより豊かにできるのではないかと思います。年配層の中にはパソコンになじみがなく、メールマガジンを敬遠しがちな人もいるかと思いますが、これはIT時代を生きるうえでの必需品であり、この機会に是非活用してみてはいかがでしょうか。若い世代の同窓生もこれを応援していただければと思います。

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