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インタビュー

大胆&柔軟な発想で、時代を乗り切る。

1989年、低迷していたTOKYO FM(エフエム東京)の社長に就任後、たちまち他局を抜き去りFM局ナンバー1の座を獲得させた後藤亘さん。この経営手腕が注目され、東京ローカル局として業績が伸び悩んでいたTOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)の社長に請われて、97年に取締役社長に就任。ローカル局からグローバルな拠点都市・東京の放送局への脱皮を図り、見事に経営を安定させた。時代を読む鋭敏さと大胆で柔軟な発想による経営力は、テレビ界のカリスマとして評価される一方、にこやかで懐の深い人柄が好感を高めている。

後藤 亘(ごとう わたる)

東京メトロポリタンテレビジョン株式会社 代表取締役会長、株式会社エフエム東京 名誉相談役 東北大学法学部1955年卒業

バンカラ、旧制二高生のような自由奔放な学生時代。

実は東北大学に入学したくなかったのです。兄が東北大学の電気通信科で学んでおり、密かなライバル意識で同じ道に行きたくなかったからです。学資面から東北大へ行くようにと両親に説得され、本来は理工系が好きなのに文系の法学部へ入学しました。
入学した当時は、仙台は空襲による焼け野原からの復興期で、青葉通りは砂ぼこりが舞い、杜の都の印象はどこにもなかったです。

 

入学後すぐ「松韻寮」に入りました。この寮は仙台女子専門学校のものでしたが、1951年~55年の4年間のみ東北大学が使用していました。寮生活は、バンカラで身なりにかまわず、よく飲んでは議論したり、ドンチャン騒ぎしたり、まるで旧制二高時代のようでした。授業をサボっては、麻雀や映画に興じたり、一夜漬けで試験を受けたり、とにかくホメられようがない野放図な毎日でした。
当時の法学部には中善並木で有名な中川善之助先生はじめ名物教授が居られましたが、先生方は学生の奔放さに片目をつぶり包み込んでくれました。
とにかく学部や出身地が違う寮生ととことんつきあい、興味あることにどんどん挑戦したことは、多面的な考え方や本質的な物事の捉え方などに、いい刺激を受けたと思います。仕事でも、人生でも、要となる胆力が大事ですが、その緒となる下地を築いた時期でしょうか。

 

卒業する頃は、映画の全盛時代。それまで映画館でチラシ制作のバイトをして、数多くの映画を見ていました。また、東北大学文学部出身の津村秀夫さん(ペンネーム:Q)が映画評論を朝日新聞に書いておられ、刺激を受けたこともあり、映画配給会社に就職。東和映画に入ったのですが、2カ月に1回、ボーナスが出るなど給与は高いし、仕事だけでなく遊ぶ余裕もありました。

東北大学を卒業したことで恵まれた人生

会社生活の中、無装荷ケーブル通信方式を発明して注目された工学博士、松前重義先生とお会いする機会がありました。「東北大学を卒業して恵まれた」と私は常々思っていますが、まずは同窓であった松前先生との出会いが大きかったです。
当時、先生は多重伝送の研究をされていて、日本初のFM放送を実用化しようとされていました。「同じ仙台の仲間じゃないか、一緒にこの試験局に挑戦しよう」とお声をかけて頂き、何も考えずに「わかりました」と答えたのでした。

 

映画会社を辞めて実用化試験局・FM東海を手伝うことになったものの、なかなか開局できない状況が続き、生活も苦しくなりました。映画会社時代の経済的余裕は消えて、家内に内職をしてもらうまでに。何度か辞めようと考えましたが、「仙台の仲間じゃないか」という先生の言葉に勇気づけられました。

 

1970年にFM東海の試験放送としての役割を終えて、エフエム東京が開局しました。その後、営業活動をはじめ腰を据えて取り組みました。社長に就任した89年当時は、後発のJ-WAVEなどに押されて聴取率が低迷していた時期。何とかしたいと番組編成を洋楽中心からJ ポップ中心に変えたり、トーク番組も増やしましたね。これにより、聴取率が大幅に伸びて全ラジオ局ではTBS ラジオに次ぐ2 位を記録することができました。
それから、革新的なことに取り組んで注目度を高めようと、「見えるラジオ」をスタートさせました。これはFM 電波の空きを使い文字でニュースを流すシステムですが、全米放送事業者協会の会長まで「これスゴイ!」と言ってくれました。このデータ放送の技術は、誤差が多かったカーナビに活用され、その解消にも役立ちました。

 

TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)の社長を引き受けたのは、「東京に地元放送局を」と開局した2年後でした。ニュースなど地元で取材した番組を放送していましたが、視聴率と営業面で苦戦していました。
私は、TOKYO MXの存在意義と今後のあり方を考えて、社員に「東京ローカル局という言葉を一切、使うべきでない。東京は国際都市なのだから世界へ発信するテレビ局を創っていこう」と宣言しました。そして、ニューヨーク、ロンドンをはじめ、オーストリア、中国などのテレビ局と提携し、既存局とは一線を画したネットワークを築き上げつつあります。

 

時代は、スマートフォンでニューヨークのライブがどこでも見られる、言わばリアルタイムでパーソナルな時代なのです。こうしたニーズを意識して、グローバルな視点で面白い番組づくりをしていこうというのが、私の考えです。時代に向き合う感性と遊び心が大事なのです。
今後は日本の芸術・文化にシフトしていこうと、葛飾北斎の浮世絵作品を紹介する番組づくりに力を入れます。また、この先日本経済が低迷しても、よすがとなる日本文化の誇りを持ち続けられるよう、日本の文化・歴史・技に迫りゆく『ようこそ櫻の国へ』というガイド番組を制作・放送しています。

 

そういえば、石原慎太郎・元東京都知事が、当選時のインタビューで「TOKYO MXは意味がない。無駄な放送事業は止めるべきだ」と仰いました。機会をみて会いに伺った際、「石原さん、ありがとう!」と申し上げたら、都知事はキョトンとされました。「東京都からお金を頂戴したら、何でも言うことを聞かざるを得ず、予算を大幅減額するということは大歓迎します」と続けたら、「お前は変わっているなー」と笑われました。
たまたま東和映画の話をしたら、石原さんも入社を希望されていたようで、「それならお前を信用する」という話になり、意気投合しました。都からの広報宣伝費は、毎年5年間に渡って減額をすることで落ち着きました。TOKYO MXの自立の道が、石原さんのおかげで出来たのです。

 

「トラブルはチャンスだ」と私は常々考えています。トラブルが起きた時、なぜかワクワクして、思いがけない解決法を見出すのが楽しくて仕方ないのです。トラブルの相手には、関係を修復するために努力を惜しまない。すると、そういう方とはその後、本当にいい関係が築けるのです。
その例の一つとして、TOKYO FM時代に、亡くなられたソニー元会長・大賀典雄さんと親しくなれたのも、大賀さんの言葉に自分が口惜しいと思ったことが始まりでした。大賀さんには、物事を感性で判断する考え方を教わりましたね。

 

いずれにしろ、放送局はさまざまなトラブルがつきものですが、社会に出て活躍されている東北大学の卒業生に、随分、助けられました。放送免許の取得方法や電波に関する法律、ビジネス問題の解決など、いろいろな知恵を授けて頂き、自分は同窓生に本当に恵まれたと思っています。

世界に冠たる東北大学を積極的にアピール。

萩友会活動をはじめ、東北大学関連の会合にはできるだけ出席するようにしています。いろんな同窓会の中でも、一番気に入っているからです。
東北大学の仲間にお会いすると、何とも言えないやすらぎと安心感があり、落ち着いて未来を考えられる独特の雰囲気があります。群れることなく自分の信ずる道を黙々と根気強く進み、自己PRや知ったかぶりもなく、素晴らしい人格者の集まりだと思います。
また、「松韻寮の会」も回を重ねて高齢者の域ですが、諸橋奏さん(S29.3卒:明治乳業(株))を中心にますます意気盛んです。

 

先日も、卒業生有志が集まる「紫組」に出席しました。これは、脚本家・内館牧子さんの文学部大学院の修了祝いで集まったのが始まりで、いわば東北大学の応援団を自認している会です。会の名付け親は内館さんですが、和気藹々、それはもう楽しい会です。

 

 

紫組(2014年)

 

小田和正氏コンサートにて 紫組一同(2014年)

 

 

東北大生を見直すきっかけとなった松前先生は、TOKYO FMの社長に就任した2年後に、亡くなられました。先生は「肥後もっこす」と言われる熊本県出身。頑固でこうと思ったことは譲らず、反骨精神もあるけれど変な争いはしない。そういう熊本県と東北大学の気質には、何か共通点があるような気がします。
先生が亡くなる少し前に「おつきあい頂いたお蔭で、金持ちになれなかった」と申し上げたら、「何だ、お前!」と先生。「金儲けで道をはずすことなく、過ごしてこられました」と述べると、「それならそうと言え!」と先生は笑っておられました。
先生は戦後、日本がオールアメリカに傾く風潮を憂慮されて、ソビエトとの関係も保とうと歴代大統領とコミュニケーションできる立場を維持されました。そういう考え方や価値観、チャレンジ精神、人生のあるべき姿を先生から学ぶことができたのです。

 

東北大学が世界へ向けて情報を発信し、世界が認める大学を目指している里見進総長の采配ぶりは、高く評価されます。穏やかで夢を感じさせて下さる里見総長の人格にも、好感が持てますよね。
大学としてパブリックリレーションを高めていくことが重要ですから、東京を舞台とした広報戦略も一考されることをおすすめしたい。東北大学を世界へ発信する方策は、私どもTOKYO MXでも大いに協力していきたいと考えています。

●プロフィール
1955 年東北大学法学部卒業後、東和映画入社。1960 年FM 東海勤務後、70 年(株)エフエム東京(TOKYO FM)入社、営業部長、取締役総務部長、常務、専務を経て、89 年代表取締役社長に就任。97 年に東京メトロポリタンテレビジョン(株)(TOKYO MX)取締役社長に就任し、2001 年7 月 ㈱ジャパンエフエムネットワーク(JFN)取締役会長、05 年TOKYO FM 代表取締役会長、07 年TOKYO MX取締役会長、2010 年に同社代表取締役会長に就任後、現在に至る。 【主な受賞歴】  1995年 全米放送事業者協会(NAB)第1 回放送事業者国際特別功労賞受賞  1996年 藍綬褒章受章  1999年 日本宣伝クラブ第39回日本宣伝賞正力賞受賞  2001年 全日本シーエム放送連盟第37回鈴木CM賞受賞  2003年 福島県県外在住功労者知事表彰  2010年 旭日重光章受章