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東北大学ひと語録

《事実をして真理を悟らしめよ。》

飯塚 毅(いいづか たけし)

「租税正義」の確立にまい進。世界第一級のコンピュータ会計計算受託事業を実現。

「租税正義」の確立にまい進。世界第一級のコンピュータ会計計算受託事業を実現。

『東北大学は、在野の気骨ある人物を生む』……。

世の識者から、東北大学卒業生は、よくこう評されることがあります。

栃木県の小さな地方都市鹿沼市の、いわばまちの一税理士であった飯塚毅は、「飯塚潰し」を目的とする国家権力を相手に一歩も退かず、明晰で、衡平な法理論による権利闘争に挑みます。

飯塚の生きかたと闘魂は、まさに「東北大学人」らしい、在野の気骨そのものの姿でした。

飯塚と国家との闘いのきっかけは、《一円の取りすぎた税金もなく、一円の取り足らざる税金も無からしむべし》との税理士飯塚の会計契約企業への合理的な税務指導にあります。これは、飯塚がつねに唱えていた《(数字という)事実をして真理を悟らしめよ》との会計哲学の実践でした。さらに、企業に赴き会計記録などが適法か、正確かを調べて指導する『巡回審査』も生み出し、好評を得ます。こうした若き税理士飯塚の税務指導の行動を、国税局は、「お上」意識からか、立場をわきまえない思い上がった当局への挑戦と受け取りました。そのため、灸を据える「懲罰」として、飯塚の税務指導を「脱税教唆」とみなし、国家権力あげての飯塚潰しが始まります。

国税局は、飯塚の会計事務所と取引のある事業者に、異常とも思えるしらみつぶしの税務調査に入りました。事業者の日々の営業にも支障がでるありさまです。税務署からの圧力を恐れ、飯塚との契約をやめる事業者が次々に現れます。飯塚の事務所員からは逮捕者まで出ました。一税理事務所が国家を相手に闘う、存亡の危機を迎えたのです。

終戦直後の税理士の実態はと言えば、国家の税金徴収の下請け業者視された存在でした。 『税理士はわれわれが食わしてやっている……』との意識が税務当局に強かった当時のことです。

国の税金徴収部門の国税局、大蔵省、さらには検察庁という存在は、いわば庶民や一税理士にとっては泣く子も黙る雲の上の存在でした。そうした国の最強機関を相手に、名もない、地方の若き税理士であった飯塚は、己の信ずるところに従い、裁判において「税理士理念と税法解釈」で真っ向から法律論争を挑みます。このことから、飯塚は、さまざまな圧力や仕事への妨害を受けました。しかし、屈することはありません。一税理士の力で7年もの間国家との裁判闘争を闘い抜き、租税法律主義を信念とする飯塚は、理路整然としかし舌鋒鋭く己の主張を訴えたのです。

飯塚は、福島高等商業学校(旧制)から東北帝国大法文学部に首席で合格した俊才です。1940年(昭和15)にフィリピンで開催された『日比学生会議』では、日本の学生代表の一人にも選ばれています。とにかく、ずば抜けた頭脳の持ち主です。少年時代から、生来の虚弱な体質と神経質な己を変えよう、己とは何かの本質を知ろう、この必死な思いから参禅と日々30杯の水をかぶる鍛錬の日々を己に課す没頭探求の人でもありました。大学在学中には、臨済宗の名刹雲巌寺の植木義雄老師から禅における「見性(けんしょう)」を許されたほどです。

実父が心痛のため急死するほどの過酷な裁判闘争でした。その渦中において、飯塚は、《わが人生佳境に入る、己を試す絶好機なり》と喝破します。租税正義の信念のもと、烈々たる気迫と、真っ向勝負の法理論で法廷にて反論。国家権力の横暴とその論理の矛盾を指摘し続けます。 ついには、国を相手の裁判で、逮捕された事務所員4名の脱税事件の無罪を勝ち取りました。 一税理士としてのひるむことのない権利擁護のための闘いとその主張の正しさが、最後には一般社会や国会も納得し、支持するところとなります。 この事件は、税理士法第一条(税理士の使命)の改正と「税理士の独立と公正」の基本原則が認められる大きなきっかけとなりました。飯塚の国家権力との裁判闘争の激しさは、経済小説で著名な作家高杉良のロングセラーモデル小説『不撓不屈』(新潮社)に詳しく紹介、2006年(平成18)には映画化もされています。 裁判での勝訴の後、飯塚は、新たな公認会計士試験に首席で合格します。さらには、一地方の会計事務所でありながら、全国に先駆けコンピュータ利用による会計システムを開発。全面的に仕事に導入します。この新しい試みは、世界的に見ても会計業務受託の先端をいく事業でした。 飯塚の考えによる時代の動きを見越した新しい会計業務システムは、たちまち企業から信頼を集めます。2011年(平成23)には、全国で会員1万名を越す会計人集団TKC全国会へと発展しました。 栃木県の一税理士として戦後に歩み出した飯塚の職業会計人としての誇りと気概が、世界の会計事務事業の模範となるシステム構築と職業会計人の理念尊重を実現したのです。飯塚の識見の高さと能力は、日独比較税法研究家としての活躍や法学博士号取得でも良くうかがえることでしょう。

飯塚は、禅哲学の実践者として《自利トハ利他ヲイフ》に基づく人生指導でも知られています。 実は、飯塚は、発足したばかりの東北大学後援会に母校のためとしてぽんと私財1億円を寄付。この利他の心、志の力が、東北大学後援会の発展に大きな弾みをつける契機となりました。 卒業した法学部へも合わせて5千万円もの多額の寄付を行い、後進の研究と教育のための法学部同窓会学術振興基金が新設されてもいます。

1億円の寄付をいただいた当時の東北大学第17代総長であった西澤潤一は、講演等で栃木県を訪れると飯塚を神様のように尊敬する多くの人々に出会います。そこで飯塚の人となりと社会への功績を詳しく知り、改めて感動。後の話になりますが、飯塚の葬儀に、西澤元総長は、その大いなる遺徳と東北大学へのご貢献を偲び、一個人西澤として参列したと聞いております。 租税正義に捧げた利他の人、在野の気骨ある人物、飯塚の堂々たる一生でありました。

●プロフィール
1918年(大正7)、栃木県生まれ。幼年時代は虚弱で神経質。己を変え、己の本質を知ろうと16歳で信仰ある生活に目覚める。栃木県の名刹雲巌寺(うんがんじ)の植木義雄(ぎゆう)老師と出会い参禅。禅は生涯の教えとなった。福島高等商業学校(現・福島大学経済学部)を経て、1943年(昭和18)東北帝国大学法文学部法科卒。復員後に故郷鹿沼市にて「飯塚毅会計事務所」創業。職業会計人として、企業に出向き、会計記録の正確性などを確認・指導する「巡回監査」の手法を確立。独立・公正な税務・会計の専門職業人としての地位と権利の確立に尽力。1963年(昭和38)「脱税教唆」を容疑とする「飯塚事件」勃発。国を相手の7年間の裁判で無罪を勝ち取る。経緯は、高杉良著のモデル小説『不撓不屈』に詳しい。会計計算受託の栃木計算センター(TKC)設立。職業会計人集団TKC全国会を結成。会計事務の専門情報サービス会社TKC創業。半生を租税正義に捧げる。法学博士。2004年(平成16)没。

主な参考資料
▽『飯塚毅著作集Ⅰ 会計人の原点』 飯塚毅著 TKC出版 1981年 ▽『飯塚毅著作集Ⅱ 激流に遡(さかのぼ)る』 飯塚毅著 TKC広報部 1982年 ▽『飯塚毅著作集Ⅴ 物凄く伸びる会計人』  飯塚毅著 TKC広報部 1991年 ▽『不撓不屈』 高杉 良著 新潮社 2002年 ▽『会報 第三十二号』(東北大学法学部同窓会報) 東北大学法学部同窓会 2005年 ▽『飯塚毅博士アーカイブ』公式ホームページ 編集協力TKC出版 2011年閲覧 ▽『創立百周年 志の力 財団法人東北大学研究教育振興財団の歩み』 財団法人東北大学研究教育振興財団 2010年