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東北大学ひと語録

《工学というものは人生の役に立つところまでいかなくてはいけない》

永井 健三(ながい けんぞう)

『電子立国日本』の生みの親、"弱電の東北大学"。「磁気記録分野」の研究と実用化で世界を先導。

『工学とはマネーメーキングの学問である。』永井研究室のモットーを、見事に実現。

東北大学の学風のひとつに「実用忘れざる」の精神が挙げられます。端的にいえば、大学といえども「単なる空理空論ではだめだ」ということです。実際に社会の役に立つ実践までをも見据え、研究を続けよう。実用化されるまで徹底的に粘ろう。このような研究姿勢ともいえましょうか。なかでも永井健三(以下、永井)は、工業化までをも常に見据えて研究し続けた代表的な東北大学人のひとりです。
実例を挙げましょう。いまや「世界のソニー」も、永井の工学研究の成果を基に発展の契機をつかみました。

 

戦後の混乱時代のことです。若くして天才発明家と評された井深大(まさる。以下、井深)が終戦を契機に創立した東京通信工業(のちのソニー)は、当時は、みすぼらしいバラック建ての社屋の小企業でした。その東京通信工業(以下、ソニー)に、永井は、自分が登録した特許「交流バイアス式磁気録音」を売り渡す橋渡しをします。
井深は、この特許を盾に訴訟を起こし、アメリカ製のテープレコーダーの輸入を税関でストップさせます。これが、テープレコーダーのソニーとして一大飛躍のきっかけとなりまし た。永井の発明と特許が、日本のテープレコーダーの国産化に計り知れない貢献をします。
この事実を、井深は、後の永井逝去の際に友人としての追悼文で、しみじみと述懐し、深く感謝しています。
さらに、永井や東北大学電気通信研究所との縁から、ソニーの研究、開発、製造の拠点を仙台圏に設立したと述べています。
まさに、永井を含めた「弱電の東北大学」の存在が、戦後の日本の復興を担った「電子立国日本」を生み出した…。こういっても、決して過言ではありません。

 

《 工学とはマネーメーキングの学問である 》
(『垂直記録とビッグデータ』 岩崎俊一 著 日経BPコンサルテイング 2016年))

 

この永井の言葉は、誤解を受けやすいので、説明を加えましょう。工学研究を志す以上は、これまでの社会の生活を変え、向上させることを目指して努力すべきだ。つまりは、新しい文明の創造までをも目指すべきである。このような、壮大な研究理念を、衒うことや飾ることもなく、率直に分かりやすく訴えた言葉です。この言葉の持つ影響力と重要性は、敗戦後の日本の発展にとって、計りしれないものがありました。

磁気録音での「高周波バイアス法の発明」が、録音の技術向上に、さらには「垂直記録」へ!

録音といえば、テープレコーダーを思い出す年代の方がまだ多いと思います。このテープレコーダーの生みの親が永井です。永井の特許を取得したソニーが「テープコーダ」として発売。ソニーが世に広く知られる契機となりました。永井や日本が、録音機普及の世界の先駆けだったのです。

 

「磁気記録」とは、情報を電気信号に変換、その電流で電磁石を駆動し媒体を磁化、情報を記録させるものです。
1888年にオバーリン・スミスが原理を公にし、これをヒントにデンマークのヴォルデマール・ポールセンが、円筒に巻き付けたピアノ線(鋼線)を記録媒体とした最初の磁気録音機「テレグラフォン」を発明します。 1898年のことです。直流のバイアス法も発明しましたが、音質が満足できる状態ではありませんでした。

 

一方、東北大学では、永井が、交流の高周波で、電圧を強くし、記録のための電気信号に一定の強度の信号を乗せれば(バイアス法)、さらに録音特性を改善できることを発見します。いわゆる『交流ヲ「バイアス」トセル磁気録音方式』です。 1938(昭和13)年に特許を出願します。さらに永井は、ピアノ線の2倍の出力を持つ録音媒体用の優れた材料「仙台金」を、1939(昭和14)年に開発しました。
そして、この「高周波(交流)バイアス法」の特許を基に、ソニーは、1950(昭和25)年に日本初のテープレコーダーを製品化。その後の録音技術の進展は、「ウォークマン」をはじめよく知られています。
永井研究室からは、磁気記録はもちろん、電話、通信、情報工学分野へと多彩な分野で、優秀な門下生を次々に輩出します。その秘密の一端が、次の言葉からも想像できるのではないでしょうか。

 

《 教授は金を集める。その金を研究者が使って研究する。それが教授の仕事だ 》
(『永井健三先生』永井先生追悼記出版会1992年)

 

永井の直弟子のひとりでもある岩崎俊一(以下、岩崎)は、この直截な表現に、当初は少し抵抗を感じたようです。ところが、後に、その言葉の意味すること、教えの本質を理解し、感銘。岩崎自身がその体現者となります。

 

《 磁気録音の研究に取り組みなさい。それ以外のテーマはだめだよ 》
(『垂直記録とビッグデータ』)

 

ソニーに就職した岩崎が、再び永井研究室に戻ることを許された時、永井が厳しく命じた言葉です。

 

当時は、テープレコーダーが実用化されていました。新しく研究する余地があるのだろうか、と思えるテーマです。しかし、永井は、岩崎に、磁気記録の本質に立ち戻って、あえて、歴史的観点から振り返り、磁気記録の本質を見直す研究を命じたのでした。
そこで、岩崎は、交流バイアス法の研究から始めます。そして、まずは磁化力の強いHi-Fi用メタルテープの有効性を発見、メタルテープ全盛の時代をつくります。
さらに、岩崎は、永井から宿題とされた交流バイアス法の疑問点を探り、ついには磁気記録の基本原理「ダイナミック理論」の完成にたどり着くのでした。

 

その後に岩崎は、時代の常識であった「水平(平面内)記録」から、まったく逆の「垂直磁気記録」を提唱することになります。“横”のものを”縦”にするのです。まさに、天地がひっくり返るような奇抜な主張と呆れられます。
実は、その発想の基礎は、永井の「交流バイアス方式」の課題を掘り下げ、磁気記録の本質の探究から、おのずと生み出されてきた岩崎の「確信」だったのでした。

 

岩崎のこの最初の提唱から、40年もの長い時代が流れます。なんと今では、世界中のHDD(ハードディスク記録演算装置)のすべてが 、「垂直磁気記録方式」に切り替わりました。
脇目もふらず「磁気記録」の特性の究明に没頭した成果が、世界中で一大産業を生み出す結果となります。

 

この「垂直磁気」の誕生が、現代の“ビッグデータの時代”を可能にしたともいえましょう。

 

岩崎は、永井の口癖の「マネーメーキング」と「人生に役立つ」を見事に成しとげ、さらには、文明の転換までをも実現したのでした。
まさに、「この師にして、この弟子あり」。
直弟子岩崎の、文化勲章の受章を知ることができたなら永井はどれほど喜んだことでしょうか。

 

※写真/銅帯式磁気録音線、1932(昭和7)年頃
(東北大学電電気通信研究所所有)

仙台生まれの仙台育ち。故郷仙台で世界の最先端の研究を成し遂げた、器の大きな教育者。

永井ほど、仙台や片平と縁の深い研究者も少ないのではないでしょうか。

 

《 さて、私は仙台に生まれまして、仙台に育ちました。昔の第二高等学校を出まして(片平丁のこゝにあったんですが)、それからこゝの工学部を出まして片平地区に39年間勤めました。合計この片平地区に46年居ました。 》
(『永井健三先生』)

 

退官記念最終講義での、永井の感無量の講義の出だしの言葉です。1964(昭和39)年の3月のことですが、その4月には、設立聞もない東北学院大学工学部長に就任。1984(昭和59)年、83歳までその発展と充実に努めました。

 

まさに仙台で全うした教育・研究者人生といえましょう。
記念誌の『永井健三先生』を読むと、同じような感想がよく目につきます。

 

《 遅刻した学生には容赦しない、おっかない先生 》
《 講義に、研究に、妥協しない大変厳しい先生 》

 

このような思い出が、次々と記されています。
ところが、その文章の最後まで読むと、

 

《 人情味豊かで、一人ひとりのことを、親身になって思いやり、実に細やかな心配りで、お世話いただいた 》
(『永井健三先生』)

 

このような趣旨のエピソー ドが添えられるのが常でした。

 

電信、電気関係の研究は、戦時中は軍事の秘密研究です。敗戦後はたちまち解散。さらには追放処分を受けた人たちも少なくありません。敗戦後の焼け野原で食糧難の世間に、研究者が裸同然で投げ出されたのです。その困窮した実情を見かね、永井は私費で仙台市の花壇に「清秋寮」を建てます。そこで、行き場のない敗戦後の教え子たちに住まいと食事の場を提供します。さらに、それぞれに合った職場まで探しては、世話をするのでした。この一事からも、いかに永井が、人間昧にあふれた大きな器の存在であったのか。当時の社会状況を思い起こせば、誰もが納得し、実感されることでしょう。
研究者としてはもちろん、教育者、人間永井としても、いかに貴重な存在で、あったかがしのばれます。

 

まさに、「電子立国日本」を創った、永井とその教え子たちの東北大学の系譜といえましよう。

●プロフィール
1901(明治34)年、宮城県生まれ。旧制第二高等学校から東北帝国大学理学部入学も退学、翌1922(大正11)年同大学工学部電気工学科に再入学。1925(大正14)年の卒業後直ちに工学部の講師に就任。1935(昭和10)年には電気通信研究所を兼務。電気工学関連の幅広い優れた研究で知られる。録音技術では、「交流バイアス方式」を発明し特許登録。後にソニーとなる創業間もない東京通信工業が特許を取得、「世界のソニー」として飛躍のきっかけとなり、「弱電の東北大学」、「電子立国日本」へ貢献。永井が常に口にした『工学とはマネーメーキングの学問でもある』の実践例ともなった。日本学士院会員。日本学術会議会員。紫綬褒章受章。 NHK放送文化賞・河北文化賞などを受賞。1989(平成1)年逝去。享年88歳。

主な参考資料
▽『永井健三先生』永井先生追悼記出版会発行 1992年 ▽『創造の源流 社会を変えるイノベーション』豊橋技術科学大学編 日経BPコンサルテイング刊 2015年 ▽『ビデオレコーディングの話』 高尾正敏著 裳華房刊 1989年 ▽『ソニーを創った男 井深大』小林峻ー著 ワック刊 2002年 ▽『傅送回路網學』永井 健三 ・神谷六郎共著 コロナ社刊 1944年 ▽『日本の半導体開発』中川靖造著 ダイヤモンド社刊 1982年 ▽『ソニースピリット_ 成長神話を支えた精髄』塩路忠彦著 NTT出版刊 2006年 ▽『垂直記録とビッグデータ 豊かな文明を築いた日本の独創技術』 岩崎俊一著 日経BPコンサルティング刊 2016年