「先見」と「先行」の勇断で、限りない挑戦へ。
東日本大震災の津波被害によって混乱した医療体勢を立て直すため、東北大学医学部・医学系研究科は一丸となって力を尽くした。当時、医学系研究科長であった山本雅之教授は、その下支えをして奔走。さらに地域医療の復旧から復興への取り組みを検討する中、東北メディカル・メガバンク構想を提言した。学内でさまざまな角度から検討した後、実際に機構を立ち上げ、山本教授はその機構長として牽引役を担っている。医学・生命科学分野で環境応答機構研究領域の研究者として重ねてきた実績にも定評があり、2012年春に紫綬褒章を受章している。
山本 雅之(やまもと まさゆき)
東北大学大学院医学系研究科・医学部教授/東北メディカル・メガバンク機構 機構長
生体の「環境応答」の分子基盤の解明
私の研究について、まずお話ししましょう。「環境応答」の分子基盤解明に取り組んでいます。わかりやすく言えば、例えば「身体を錆びさせないしくみ」などに関する研究です。
生物界では、植物が光合成によって作った食物を、動物が食べて酸素を使って燃やし、エネルギーにします。それで、動物は生きているわけです。ところが、植物は動物に食べられないようにするため、毒素を作ります。これに対して、動物はその毒素が体内に入っても影響を受けないように防御します。いわば、地球上ではいつも植物VS動物の化学戦が行われています。例えば、かつてはオーストラリア大陸をコアラが独占していました。毒素を持った植物であるユーカリの繁殖力が強く、その葉を平気で食べられるのはコアラだったからです。
植物の毒素が身体を痛めつけるだけでなく、酸素は体内で細胞を酸化させて錆びさせる「酸化ストレス」を起こします。こうした環境ストレスを感知して防御するシステムを活性化させる能力が、遺伝子の中に組み込まれているのです。私は、環境ストレスに応答して相応の遺伝子の発現する能力について、分子レベルでそのしくみを解明する研究に取り組んできました。それを通して、環境応答の分子基盤解明という成果が得られたのですが、これが紫綬褒章受章の対象となりました。元々は個別で行っていた研究を、統一した視点を持ち込むことで、一貫したメカニズムとして統合してわかりやすく明らかにしたのです。
東北の地で、世界に先駆けて未来型地域医療の実践
3・11東日本大震災が起きた時に、医学系研究科長をしていましたが、死者の数、被災者の惨状など、過酷な状況に向き合うことになりました。「医学系の人間は何をすべきか」を考えて、被災地の医療支援に東奔西走する大学病院と里見病院長(現総長)の支援に取り組みました。東北大学医学部医学系研究科の教職員と学生の総力を結集して、強力な支援体制を敷きました。例えば、東北大学病院は、患者さんの受入れを当初は一人も断らなかった一方、延べ1,500人を超える医師を震災地へ派遣したのです。
震災後、時間が経過するにつれて事態が落ち着く中で、「このままでは、復旧までで復興には至らない」と思うようになりました。この時に、「東北メディカル・メガバンク事業」という発想が浮かびました。
「今後、震災の復興にどう対応していくか」と、医学系の皆さんが集まって話し合いましたが、話題の大筋を占めたのが、東北の傷ついたブランドイメージを回復するために、復興のエンジンとなり得る研究拠点を地域につくり、それを核にした復興施策を進めることでした。その具体的な施策としてまとめ上げたのが「東北メディカル・メガバンク事業」です。めざすのは未来型医療の確立であり、創造的復興への実践です。
取り組む事業は、3本柱で構成されています。一つは震災後の医療復興事業であり、特に、3人1チーム制による地域医療への循環型医師支援制度の導入と、災害で医療情報を失わないように医療情報のICT化を行います。
2つ目はバイオバンク事業です。地域住民を対象に3世代に及ぶ遺伝子レベルでの長期健康調査を行い、その過程で入手する生体サンプルや健康情報などをバイオバンクで管理します。さらに、大規模な遺伝子解析を行い、そのデータを活用してテーラーメイド医療の構築をめざします。一方、管理しているデータは、創薬や医療技術の開発にも有効利用ができるように努めます。
3つ目は、人材育成事業です。今後は新しい医療を担うさまざまな人材、例えば生命情報科学者、遺伝カウンセラーなど、新たな職種の人材を養成することが求められています。
事業のねらいを端的に言えば、東北の地で世界に先駆けて、一人ひとりに合わせた個別化予防と個別化医療を可能にすることです。遺伝子解析によって病気のリスクがわかりますから、例えば食事のコントロールや運動、睡眠などの生活環境因子を指導することによって、個別化予防に取り組めます。病気になったとしても、その人に合った個別化医療を受けることができるのです。
こうして、東北地方が未来型医療の中心拠点となり、単なる復旧ではなく創造的な復興を成し遂げていけるのです。それだけに、東北の住民の皆さまはもとより、全国の医療・学術関係者など多くの方々のご協力、ご支援を仰いでいきたいと願っています。
自然の法則を解明する、科学の無限の魅力
私の東北大学での学生生活は、18~28歳までの10年間でした。一番印象に刻まれたのは、東北大学は学問をやる所、研究に挑む研究第一主義の大学であり、その気運が空気のように自然に身に付いていったことです。
手がける研究についても、「キミの新しさは何か?」という問いかけが常にありました。つまり、真似をすることなく、流行にとらわれず、独創性を持った研究に取り組むことが、東北大学では求められているのです。
当時の学部長だった石田名香雄先生(その後の総長)は、いつも気さくに学生に話しかけられて、良い刺激を与えて下さいました。ある日、「山本君、研究は寒い所でやるものだよ。世界の良い大学は、たいてい寒い場所にあるよね」と、仰いました。学問をやるのに仙台は良い環境だと思われていたのでしょう。確かに、少し寒い方が勉強も研究もはかどる気がしました。
科学は巧妙に隠された自然の法則を明らかにすることであり、研究ではそれを解明するために最短距離でどう挑むかが大事なのです。こうしたことを明らかにしていく楽しさ、喜びを若い人たちに伝えたいですし、一緒に挑戦をしていきたいですね。
今後、東北ブランドの回復のためにも、東北の優れた文化を発信していかなければなりません。東北大学は、独創的な研究を担い、東北の明日に役立つ人材を育成することが大切です。大学評価において競争することも大事ですが、東北大学は研究の独創性を発揮して、ワールドリーディングの大学になってほしいと願っています。
●プロフィール
1979年 東北大学医学部 卒業
1983年 東北大学大学院医学研究科 修了(医学博士)
1983年 米国ノースウエスタン大学 博士研究員
1991年 東北大学 医学部 講師
1995年 筑波大学 先端学際領域研究センター 教授
2007年 東北大学 医学系研究科 教授
2008年 東北大学 副学長
同 大学院 医学系研究科 研究科長・医学部長
2010年 東北大学 Distinguished Professor
2012年 東北大学東北メディカル・メガバンク機構 機構長
◎受賞歴/東北大学医学部奨学賞・金賞および坂田賞(1995年)・井上学術賞(1996年:井上科学振興財団)・トムソン・ロイターリサーチ・フロント・アワード 2004(2004年:Thomson Scientific Co.)・つくば賞(2007年:茨城県科学技術振興財団)・日産科学賞(2008年:日産科学振興財団)・Leading Edge in Basic Science Award(2011年:Society of Toxicology)・東レ科学技術賞(2011年:東レ科学振興会)・上原賞(2012年:上原記念生命科学財団)・紫綬褒章(2012年)・Oxygen Club of California Health Sciences Prize (2012年: Oxygen Club of California)