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インタビュー

想像の翼が編む、世界観のタペストリー

SF小説を出発点としながらも独特の世界観を紡ぎだし、ジャンルを超えたストーリーテーラーとして注目される芥川賞作家・円城塔さん。奇妙な理論を突き詰める展開。注釈による巧妙なしかけ。鋭く明解な美しい言語による純文学の冴え。それらが複雑にからみあった作品の数々は、実験的で難解だ。とはいえ、読めば読むほど深みにはまる世界観の独自の諧調が、人々を魅了して止まない。いわば数理研究をフィクションのエンタテイメントとして展開していく、不思議な魅力の根源に何があったのか探ってみた。

円城 塔(えんじょう とう)

作家 東北大学理学部物理第二学科1995年卒業

2時間単位で、着想からストーリーを創りだす日々。

著書『Self-Reference ENGINE』の英訳版が、米国でフィリップ・K・ディック記念賞特別賞に選出されるなど、海外でも高く評価されている

小説はいつも喫茶店で書きます。PCで書くのですが、飲み物1杯、2時間程度の滞留時間でお店を替えて、書くことを重ねている感じでしょうか。
小説家が締切に追われて、編集者から逃げ回るシーンをよく思い浮かべるでしょう。私は守る方なので、それはまったくありませんね(笑)。

 

書きたいことを書くというよりは、編集者などに依頼された原稿を書き上げるタイプです。自分としては、どの雑誌にどういうテーマで、何文字で書くのか、条件をつけられるほど書きやすい気がします(笑)。多分、仕事という感じで取り組まないと、怠けてしまうと思うのです。
今はホラ話系の小説を書いてますが、ちょっとした着想からあれこれ想像を膨らましてストーリーを引っぱっていく。そんな書き方が多いですね。想像力でいろいろな世界観を描けるので、ホラ話系は自分には書きやすいジャンルです。
といっても、その媒体の傾向によって、例えば文芸誌と娯楽雑誌とでは求められているものは違いますから、書き分けてはいます。逆から言えば、そんなにジャンルを決めていないということです。
小説だけで生活していこうとすると、原稿用紙で年間1,000枚書かないと成り立たないようです。他の仕事をしないで、書くことだけで生活するには、そういうペースのようで、すると本当は月に100枚くらいは書かなければならない。また、量産してもよほど売れていないと、小説だけではなかなか食べてはいけません。
小説家は一生のうち平均して大体、原稿用紙2万枚位著述する計算になるわけです。私としては、ジャンルを決めてしまうと、一作終えてしまえば、次を書くのに時間がかかってしまいます。書きたいことにこだわることで、止まってしまう。それで、ジャンルもテーマもいろいろトライすることで、書き続けているように思います。

大学時代は、屁理屈と読書が好きな物理系の学生。

東北大学へ入学するきっかけは、北海道から出たくなったという気持ちからでしょうか。高校時代はずっと北大へ行くつもりでしたが、3年の12月頃に、急に札幌から離れたくなったのです。理由があったわけではなく、どうせならよそで暮らしてみたいと思っただけでした。東大へ行くなら東京で生活することになり、それは両親の負担が大き過ぎる。それで、東北大学となったわけです。地方の国立大学はそう多くなかったですから。
どちらかというと物理が結構、性に合っていたので、東北大学理学部の物理系に進学しました。細かくいろんなことを暗記するのはイヤだったので、物理の場合は原理、原則を理解すれば後は何とかなると思って、基本的にラクをしたかったのです(笑)。化学ですと、化学式など猛烈に暗記しないと前へ進めませんし、生物は何か踏み外せば、最初からやり直さないとできないという印象がありました。物理でも、金属などはあまり好きになれず、考えたくなかったのです。
理学部で学ぶ中、何をしていたかという記憶はあまり無いですね。卒業研究も理学部は取り組まずに済みましたし。覚えているのは、論文講読で量子力学の観測問題に関するテーマを学んだことでしょうか。

 

思い出深い先生と言えば、量子力学の高木伸先生が浮かびます。ミクロ系の量子のふるまいがマクロ系で見えないのはなぜか、といった研究をされて有名でした。とても面白い先生で、よく話を聴きました。研究されていた内容そのものが、ユニークで面白かったですね。自分としては、なぜかという理屈を構築していくのが、好きだったのです。屁理屈がね(笑)。
とにかく、大学時代は目立たない学生でした。必修科目が多いので、毎日、青葉山の理学部へスクーターで通っていました。キャンパスが山の上なので一度、登れば、なかなか帰るのが面倒に。朝行って、夜帰るパターンで、仲間たちと過ごして集団で帰る感じでした。

 

SF研究会に入っていて、川内キャンパスの部室によくたむろしてました。といっても、勝手にそれぞれ好きな本を読んで、部室ではしゃべってばかり。何か一緒にしている実感は薄かったですね。皆でダベっては、ただぼっーと過ごしてました。
読む本もSF専門ではなく、世界文学を読む感じでした。当時は、今活躍している新しい世代のSF作家はまだ出てきてなくて、SF冬の時代のような雰囲気でした。なので、ラテンアメリカ文学を読んだりしてました。

 

もともと本を読むのは好きでしたが、家にあった世界文学全集を系統立てるのでなく、興味あるものだけ読んでました。好きな分野で言えば、どちらかというとファンタジーもの。風刺やダジャレの効いた、ピアズ・アンソニイの『魔法の国ザンス』シリーズとか、トルーキンの『指輪物語』ですね。ライトノベルが流行していて、『ロードス戦記』も読んでました。
中高時代はカラダを動かすのが嫌いで、なぜか美術部に入っていて、何を作るでもなく粘土をこねたりしてました。趣味を聞かれれば、読書になりますね。

 

卒業後は、東大大学院へ行くことにして、専攻も物理学から学際的な分野へ変更。一応、総合文化研究科博士課程を修了しました。東北大学は工学系、とりわけマテリアルが強かったので、興味の向きが違っていました。東北大学内でもっと探せば、理学部にも自分が関心を持てる研究室もあったのでしょうが、知らないまま東大へ移ってしまいました。

 

小説家として認められたのは、2007年、34歳頃です。それまでポスドクを3回勤めて、さすがに4回目はもう無いと思い「辞めます」となりました。それが2007年2月かな。その後は、知り合いの会社にウェブ・エンジニアとして籍を置くことにしました。
そんなに小説を書いていたわけでもありませんが、研究の合間にチョコチョコ書き溜めたものがありました。結構、生活費がきつい時代で、本はなかなか買えないので自分で書いてしまおう、そんなノリでしたね(笑)。
2006年のポスドク最後の年に、指導教官の勧めで小松左京賞に応募。落選したものの早川書房が刊行してくれることになり、『Self-Reference ENGINE』を2007年に初出版しました。この年には、『オブ・ザ・ベースボール』で文學界新人賞を受賞しました。とはいえ、小説家になっても食えないと思ってましたので、知り合いの会社で働きながら書いてみるか、となったわけです。なので、小説を書くため5時には帰社するという条件付きで就職しました。

 

ポスドク時代もそうでしたが、小説を書くのは、朝2時間、夜2時間というペースでした。2時間で10枚ぐらい書けたので、それで一話となり、毎日一話ずつひねり出していく感じでしたね。ユニット毎に書いていけば、失敗したらそれを切り捨てればいいと考えたりしてました。
「書く」ということでは、伝える技術やしくみに興味を持っている部分があり、大上段に構えて何を書かなければとは考えずに、次は何を書こうか、と自分の興味の延長上で小説としてまとめてきました。

 

『道化師の蝶』(円城塔著、講談社)2012年芥川賞 受賞作※単行本版は品切れ中

大事なのは、手応えある「学び」と、話を「聴くこと」。

昔は、周囲の学生の皆さんによく、健康に気をつけろ!などと言っておりました。今は、保険と年金に気をつけて、人生設計を大事にしろ!でしょうか(笑)。自分のことを棚上げして、そう大きく構えて言えませんが。
「学ぶ」ということでは、将来役に立つかどうかも関係なく、自分が学びたい学問分野を選んでほしいですね。将来、どうなるのかまったく不確実ですから。それと、選んだジャンルに関してはできるだけ中途半端ではなく、それなりに手応えを持つまで学び取ってほしいものです。学んだジャンルは、その専門の用語や論理が自分には当たり前になっていたりしますが、専門ではない人に質問されると案外、説明できなかったりします。実は、違うジャンルの人と話すことは大事なことなのです。ですが、学部学生にとっては無理だとは思います。
例えば、工学と理学のように近くのジャンルって、案外、仲が悪かったりします。仲良くなれるのは、30代に入ってからだったりします。その頃になると、お互いの気持ちがようやくわかってくるからでしょうか、聴く耳を持つようになります。学部生は好きな分野に入り込み過ぎていて、そこまでなかなかできないものです。

 

自分は、知り合いの半分以上が絵を描いたり、デザインしたりする美術系の方です。美大や芸大で学んだ人々は、着想や視点が違ったりするので、理学系のアタマになっている自分には刺激になります。

 

人生訓となるほど大そうなことではないですが、とにかく大事なのは、人の話を「聴くこと」、「食べること」「眠ること」だと、若い人にはいつも言ってます。

 

『これはペンです』(円城塔著、新潮社)2011年早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞 受賞作

●プロフィール
1972年北海道生まれ。東北大学理学部物理第二学科を卒業し、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。研究員、ウェブ・エンジニアを経て、『Self-Reference ENGINE』でデビュー。2007年に『オブ・ザ・ベースボール』で文學界新人賞を受賞。2010年、『烏有此譚』で野間文芸新人賞受賞。2011年、『これはペンです』で早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。2012年には『道化師の蝶』で芥川賞、『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞に輝く。『Self-Reference ENGINE』の英訳は2013年にアメリカでフィリップ・K・ディック記念賞の特別賞に選出された。2017年に『文字渦』で川端康成文学賞を受賞。その他の著作は『バナナ剥きに最適な日』『後藤さんのこと』『プロローグ』『世界でもっとも深い迷宮』など。