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東北大学ひと語録

大学とは、どの組織にもまして「人」こそがすべてです。
東北大学とは、なぜ、日本人には苦手と思われてきた「独創」を生み、「創造性」を発揮した人材を、各分野に輩出しつづけているのでしょうか。
この理由を探るには、人物そのものから探ることがいちばんの近道でしょう。
そこから見えてきた「東北大学精神」とは、その独創者たちの発した「名言」とは、、、。
東北大学には、まさに、独創を生む「理由」があったのでした。

東北大学萩友会 広報委員会委員
阿見孝雄(1969年 法学部卒)

デフォルト画像

2013.09 掲載

《ヴェーバーが説いた「日々の要求」とは、「私にとっては、大学での勉強をはじめよ、ということであった」》

プロフィール:1897年(明治29)、ドイツ生まれ。ユダヤ系画家の裕福な家に育つ。少年時代を「全くのドイツ人」として育ち、ニーチェの哲学に憧れ、「危険をおかして生きる」思想に共鳴。18歳で第一次大戦に志願出征、勲章も得る。戦闘で肺を撃たれ瀕死の重傷、イタリア軍の捕虜に。敗戦後に学業に戻る。ミュンヒェン大学からフライブルク大学に移り、ニーチェ論文で学位取得。二十世紀を代表する哲学者ハイデガーに師事。教授資格請求論文を提出し私講師として講義。1933年(昭和8)にナチス政権誕生。“ユダヤ人”を理由に教職を追われイタリアに亡命、さらに東北帝国大学に。哲学とドイツ文学講座の教師として仙台で1936年(昭和11)から1941年(昭和16)まで暮らし主著『ヘーゲルからニーチェへ』執筆。1941年に米国移住。1952年(昭和27)、ドイツに帰国。1973年(昭和48)没。

カール・レーヴィット

2013.05 掲載

《技術というものは奇蹟なのであります。》

プロフィール:1898年(明治31)千葉県生まれ。小学校代用教員などを経て東北帝国大学工学専門部、東北帝国大学機械工学部を卒業。直ちに機械機構学の講義担当の講師就任。歯車の研究を開始。理学と工学の融合を企図した東北帝国大学の学風を生かし解析幾何学と数学を駆使し歯車の新たな一般理論を構築、世界が瞠目する。欧州留学時に歯車研究とならび日本の産業振興に何が必要かを常に模索。国家、技術、産業、教育への考えを著書、講演、己の生き方で生涯を通し訴え実践する。学士院賞、朝日文化賞、毎日出版文化賞、紫綬褒章など受賞。豊田喜一郎の国産自動車開発に協力。その歯車理論と技術が現在の「トヨタ」へ大きく貢献。定年退官後、新設の中央職業訓練所(現・職業能力開発総合大学校)の所長就任、初代校長として発展に寄与。科学者・技術者・技能者の三位一体を説く。1979年(昭和54)没。

成瀬 政男(なるせ まさお)

2013.01 掲載

《学問の真髄は「何故か」を問い続けるところにある。》

プロフィール:1940年(昭和15)東京生まれ。東京大学法学部卒業と同時に同学部助手。1966年(昭和41)に26歳で東北大学法学部助教授として着任。教授、法学部長を歴任、現在は東北大学名誉教授。行政法学の泰斗であり、実定行政法や技術的な法解釈論から一定の距離を置く「藤田行政法学」を探求。「何故か」を問うからこそ法学を含めたさまざまな知的営みを学問として括ることができるとの考えに立脚。2002年(平成14)から2010年(平成22)まで最高裁判所判事。学者出身の最高裁判所判事としては10人目となる。行政改革会議委員として活躍。皇室会議議員歴任。旭日大綬章を受章。

藤田 宙靖(ふじた ときやす)

2012.09 掲載

《東北大学へ行って、私はおよそ学問の研究の何たるかをしりえたのでした》

プロフィール:1920年(大正9)、東京生まれ。日本の女子高等教育機関のさきがけとして創立された日本女子大学校を卒業の後、東北帝国大学法文学部国文学科に入学。「日本文芸学」を打ち立てた岡崎義恵(よしえ)教授に師事。1944年(昭和19)卒。その後、母校の日本女子大学の国文学の研究者、教育者として後進の指導に当たる。後に学長や理事長を長年務め、日本女子大学の発展、充実に大きく寄与。私立大学通信教育協会理事長・会長、日本教育会副会長などを歴任。2007年(平成19)の東北大学100百周年記念式典では「東北大学100周年記念文化貢献賞(教育部門)」を受賞。『日本古代文芸における恋愛』により東北大学文学博士。古代の恋愛文芸の研究で著名。日本の女子教育に関する著書も多数。東北大学萩友会顧問。

青木 生子(あおき たかこ)

2012.05 掲載

《新しい物質や現象を実験から発見することなら、誰でもチャンスがある》

プロフィール:1939年(昭和14)、埼玉県生まれ。電気通信大学卒業後に東北大学理学研究科の物理学を専攻、博士課程終了。大学院で電子顕微鏡の日本のパイオニア日比忠俊(ひびただとし)教授に師事。以後30年以上にわたる「電顕屋研究人生」が始まり、科学計測研究所(現在は多元物質科学研究所に統合)の助手として電子顕微鏡の研究に励む。電子顕微鏡の高分解能の開発に卓越した実績を挙げ、人類最初の「原子1個」の観察に成功。米国アリゾナ州立大学、英国ケンブリッジ大学、NECなどの研究員を歴任。夢の新素材「カーボンナノチューブ」、「カーボンナノホーン」を発見。材料工学に次々と新領域を開拓中。文化功労者、文化勲章受章。日本学士院賞・恩賜賞その他受賞歴多数。有力なノーベル賞候補者。名城大学教授。

飯島 澄男(いいじま すみお)

2012.01 掲載

《人間環境の保全を人類至上の目標であると認識したことに賛同し、われわれとわれわれの子孫のためにこれを強く支持します。》

プロフィール:1909年(明治42)仙台市生まれ。東北帝国大学医学部卒。医学博士。軍事国家への翼賛政治に抵抗した反骨の代議士父倫治(りんじ)の遺言により国会議員に転進。環境庁の実質的な初代長官。1972年(昭和47)のストックホルムでの「国連人間環境会議」にて、日本のそれまでの経済優先、公害多発を率直に認め反省、これからは人間優先、環境重視への転換を積極的に宣言。環境対策先進国へ日本の舵を切る戦後日本の一大エポックを生む。時の通産大臣田中角栄や福島、新潟、群馬の三県知事の反対を押し切り、原野を工事中の道路の尾瀬乗り入れをやめさせ国立公園を守る。水俣病の患者認定では「疑わしきは認定」と救済幅を広くした。2003年(平成15)没。

大石 武一(おおいし ぶいち)

2011.09 掲載

《人生の成功は、時を支配することだ。変化に挑む。人生は自分を変えてゆく歴史である。》

プロフィール:1922年(大正11)福井県生まれ。東北大学工学部航空学科卒。「歯車の成瀬」として世界的に知られた成瀬政男教授に師事。成瀬の個人塾の寮「航空寮」で暮らし、学問、精神、生活のすべてに成瀬の指導を受けた。大戦中は、海軍の秘密兵器ロケットの噴射弁研究に従事。敗戦で航空技術者の夢破れ、製造現場を知るためにも、と町工場の一工員から出発。二十八歳でコンサルタント業転進。1958年(昭和32)、『田辺経営相談所』創設。日本初の青年重役教室・社長教室を主宰。「現代の二宮尊徳」(週刊朝日)と評され、中小中堅企業経営者から絶大な信頼を得、マスコミ等で評判となる。株式会社タナベ経営(平成5年株式上場)・ファウンダー名誉会長。東北大学百周年記念事業では記念事業実行委員会の常任実行委員会委員長を務め母校との縁を深めた。

田辺 昇一(たなべ しょういち)

2011.06 掲載

《つらいなら、終わった後は絶対楽しいよな》

プロフィール:1947年(昭和22)横浜市生まれ。私立の中・高一貫校である聖光学院を経て東北大学工学部建築学科卒。在学中は混声合唱団のテノールとして活躍。早稲田大学大学院理工学研究科修了。日本のニューミュージックを代表するシンガーソングライター、歌手であり、映画の監督・制作も行うアーティスト。代表曲に『さよなら』、『言葉にできない』、『ラブ・ストーリーは突然に』、『キラキラ』など。多数の大ヒット曲を生み出す。アジアでの人気も高く、社長を務める会社名は「ファー・イースト・クラブ」。世界的な視野での音楽創造を志向。東北大学100周年記念文化貢献賞の芸術・文化部門を受賞。

小田 和正(おだ かずまさ)

2011.04 掲載

《事実をして真理を悟らしめよ。》

プロフィール:1918年(大正7)、栃木県生まれ。幼年時代は虚弱で神経質。己を変え、己の本質を知ろうと16歳で信仰ある生活に目覚める。栃木県の名刹雲巌寺(うんがんじ)の植木義雄(ぎゆう)老師と出会い参禅。禅は生涯の教えとなった。福島高等商業学校(現・福島大学経済学部)を経て、1943年(昭和18)東北帝国大学法文学部法科卒。復員後に故郷鹿沼市にて「飯塚毅会計事務所」創業。職業会計人として、企業に出向き、会計記録の正確性などを確認・指導する「巡回監査」の手法を確立。独立・公正な税務・会計の専門職業人としての地位と権利の確立に尽力。1963年(昭和38)「脱税教唆」を容疑とする「飯塚事件」勃発。国を相手の7年間の裁判で無罪を勝ち取る。経緯は、高杉良著のモデル小説『不撓不屈』に詳しい。会計計算受託の栃木計算センター(TKC)設立。職業会計人集団TKC全国会を結成。会計事務の専門情報サービス会社TKC創業。半生を租税正義に捧げる。法学博士。2004年(平成16)没。

飯塚 毅(いいづか たけし)

2011.01 掲載

《(研究を始めた理由)世の中の役に立つようなことをひとつくらいして死んでいきたい》

プロフィール:1933年(昭和8)秋田県生まれ。東北大学農学部卒。東北大学農学博士。三共発酵研究所にて青カビから血中コレステロール値を劇的に下げる物質「コンパクチン」を発見し、動物とヒトで強力な有効性を実証。「コンパクチン」から誕生した高脂血症治療薬『スタチン』は、世界で毎日3千万人を越す患者が服用する"奇跡の薬"。日本国際賞や米国最高の医学賞ラスカー賞などを受賞。秋田県名誉県民。

遠藤 章(えんどう あきら)